お前が言うなフルコース

書く価値もなければ、書く資格も無いようなことを、自分を棚に上げたり誰でも言えるのにわざわざ書いたりする。

幸福論2020

昨年末、以下に示す内容を一通り文字に起こしてみて始めて気づいたんだけど、ほぼ同じことが椎名林檎の『幸福論』の詩に書いてあるんですよね。だから以下の内容のタイトルを自分にとっての幸福論とします。


「幸福」とは本当の意味での「自己の肯定」である。ゆえに見栄と快楽で誤魔化して自らに向き合わない行為は幸福を遠ざける。
「自己の肯定」とは「弱さ」を知り認め許すことで他人と過去から解放され「正気」を保つこと。一方で「狂気」に基づく没頭の中でこそ人は何かを生み出し周囲を惹き付ける。
資本主義社会においては何も生み出せなくても人は生きているだけで誰かの売上として役に立っている。
強さとは弱さと向き合い変わること、逃げても立ち向かっても良し。人が変わるときは、関わる人・住む場所・時間配分が変わったとき。

性愛の価値は、弱い個体が、強い個体の遺伝子を残そうとする本能である。交際の価値は番となった時間の中でお互いの弱さと向き合うことである。
そもそも人間はみな弱く愚かで醜く汚いため、誰かと番になろうする。しかし、性愛と交際の共通項はパートナーが必要なことのみで、その2つは異なる概念である。性愛は交際のきっかけになっても、交際を保証するものにはなりえない。
また、正気を保てない人間は自分と向き合えないため交際が困難である。魅力は性愛を促すが、誰の目にも映る魅力は番を壊す遠因になるので、交際において真価を発揮するのはお互いのみが知り得る魅力である。

自己分析を今更するなよ

ブログを色々書いてたら小4のときにAMラジオと一学期の終業式で作文を読んだ時に、ラジオを聞いた母に「暗い!」と一蹴されたことを思い出した。
当時、流行っていた新選組と書かれたえんじ色のタンクトップを着て全校の前で作文を読んだ。誠とか書いてあった気がする。
あのタンクトップどこに売ってたか忘れた(多分西松屋ユニクロのどっちか)けど、例に漏れず銀魂にはハマった。銀魂単行本の作者のエッセイみたいなブログを書きたい。

M1グランプリに出ようとしたらネタも表現もつまらなすぎたことが原因で相方に飛ばれた。自分の話をしすぎて振られたことが何度もある。大学の部活のチーム紹介文投稿に自らしゃしゃり出て、好き放題に書き散らかした挙句に滑り倒したことがある。会話では主語がないから話の筋が分かりにくいとよく言われる一方で、文章はあまりに口語的だと窘められる。ツイ廃すぎた結果、自分ばかりが苦労していると思い上がって各方面に八つ当たりしてしまった。

ここまで誰にもアウトプットを頼まれていないのである。

以上をまとめると、「喋るのも文字を書くのも好き、ただ義務や目的が伴ったり感情が乗りすぎたりすると、自分が望む成果物が生まれないし言いたくないことまで言ってしまうので、生産性が無ければ無いほど好ましい」という誰にも望まれない、かつ、誰にでも当たり前に備わっている性質であり、その逃げ場所が、文字の多いブログだとするなら随分と納得がいく話である。

ツイ廃はブログやると人生豊かになると思う。

交際相手の話

好きだからって理由だけで誰かと付き合おうとするほど子供ではない一方で、誰とでも一緒にいられるほど大人でもないという話。
今の相手のことは好きなんだけど、好きな部分の話はまた別の記事で書くとして、固定資産に関する考え方が似通っていることが「好きだから」以外の付き合えている理由だと思う。
マイホーム・マイカーは要らないし、子供を設けるつもりはないどころか、服やゲームもこだわりがない。とにかく物欲が弱い。モノを置いておくだけの場所や費用の方が勿体ないと思っている。
あと、お互いモテない点も追加。人間の意思は弱く何度も言い寄られていると、いつかなびくと思うので。彼女の魅力に気づかない人が多くて良かったと思うし、このまま誰も気づかないで欲しいと思います。
てか、好きかどうかって人付き合いする上でそんなに重要じゃないと思うんですよね、と人付き合いヘタクソなりに思う。そもそも誰かや何かを好きでいられるかどうかって、パッと見で分かりにくい対象の魅力に気づけるだけのセンスと余裕の成せるところであり、自分次第だと思います。
だから始めから好きな人とだけ関わろうとするのはナンセンスなように思います。どうしても好きになれないようならムリに好きになろうとはしないけど、今関わっている人の良さを見い出せるだけの余裕は持ちたい。
オタク的に言うなら「1番を推しにする」でなく、「推しを自分の1番にする」的な。どこの誰といつから、という部分は言いませんよ。あとこの記事、有名人気取りがキモイな。

輪郭の断片

中身がないという悩み、そもそも生物個体ごとに特有の中身なんて存在しない。自分自身の輪郭の断片ですら、他者との交流や衝突の過程でようやく掴めるかどうかってとこなのにね。(早々にタイトル回収)そもそも自分の中身を求めるのなんて、好意にしろ悪意にしろ誰かや何かに陶酔するせいで自分を見失っているからです。そして、自分を見失うから正気を保てなくて病むわけです。ゆえに、好きでいることは嫌いでいることに等しく不健全なんですね。ずっと一緒にいたいくらい好きという話、一見、健全なようだが、一緒にいると正気を保っていられわない対象と未来を契るんか?好きだから一緒にいたいって良いとこ取りしたいだけちゃうんか?って話ですよ。私は正気を保っていたいから何にも没頭せずに、この先の人生、あらゆることを片手間でこなしていきたいという所存。まあ私こそが「中身のない人間」だからこう考えるのかもね、中身のある人いたら教えてくださいって感じだ。ただ「好き」の反対は、「無関心」じゃなくて、明確に「嫌い」ですよ、誰かに注意を向けてるという点が共通しているだけです。

好意の不健全さ

誰かへの熱意は自分への注意の散漫さを示す。性愛のウェイトがデカい奴って自分を見失っててキショいんだよ。無職の方がまだマシですわ。恋は盲目だし、盲目は恋でもあるわけ、きっしょいなあ。
誰かを好きになった結果正気を保てなくなることは健全だとは言えねーですよ。誰かに向ける好意は悪意と等しく不健全ですよ。好意の不健全さを自覚してない人は気持ちが悪い。
誰かに思いを寄せる自分自身を純粋で健全だと思い込んでいるおかげで、迷いなく対象に突撃できるから怖い。好意を抱かなければ、対象と健全良好な関係が築ける確率が上がる気もするし、ただそれはいささか本末転倒な気もする。
私が、上手くいかない理由・身を引いた方が楽になれる理由を説明した際「でも好きなんです」と返されると「そもそも好きだからダメなんだろうね」と思う、言わんけど。
同様に、芸能人・スポーツ選手・配信者とか画面越しの相手にご執心な人もニガテ、奴ら自分たちが画面越しの相手に抱く感情が清らかなものだと思っているから。嗜む程度にしときなよ。
いい歳こいて画面越しの相手中心の生き方って、自分の課題と趣味を絞れてないことの裏返し。それなら、むしろ何が嫌いかで自分を語れる人間の方がよっぽど信用できますわ、熱を入れて嫌いなもの語れるってことは自分の嫌なことや苦手と向き合ってきた証拠だし、嫌いを語ってくれると、こっちも身の振り方わかるってもんです。好みでつながるより苦手に干渉し合わない関係が欲しいね。

失恋して落ち込む奴おもろすぎる

振られて落ち込むのなんて10代か、遅くても20代前半くらいでしょう。アラサー以降で性愛のウェイトがデカイ奴なんてキショすぎですからね。振られて落ち込む奴にかける言葉なんていつの時代もどこの国でも一緒。以下の通りです。


「まずはじめに。このまま関係を続けるにしろ、終わらせるにしろ、とりあえずここまで本当にお疲れ様でした。いっぱい悩んだしがんばったのに望む結果じゃなかったのは本当に辛いと思います。まあ、1回休めってことだと思う、ゆっくり休んでください。ただ1週間そこらで癒えることはないと思いますが、むしろ時間にしか癒せない傷だと思います。無理に前向きになろうとしたり、忘れようとしたりせずに、痛みが過ぎるのを気長に待ってから色々立て直すと良いと思います。恋愛やお付き合いに限らず、何事も初めから上手くいくわけないです。今は考えられないかもしれないけど相手なんていくらでもいるから、失敗も成功も次につなげてしまえば、お釣りが来るくらいの収穫だと思います。わそもそも友達だろうと恋愛だろうと人付き合いなんて答えはシンプルで、合うもの同士なら、お互いの考えてることがわかるし、お互いに言いたいことが言えるはずです。あんなに悩むのは合ってもないし合わせる気もないということの裏返しだと思います。付き合うのはお互い安心するためなのに、あんなに不安になってたら本末転倒だと思います。(安心させるのが目的じゃないなら、どれだけ好きでも付き合う意味が無い。)泣くほど好きになれる相手と出会えたのは幸せなことだと思うけど、あんなに正気を保ててなかったのは、相手に夢中になるあまり、自分を見失ってることの証明だと思う。やりたいこともやらなきゃいけないことも山積みだろうから、当面は、悩むのは一旦横に置いておいて、自分自身に投資してあげてください。自分自身と向き合ってください。とにかくご自愛ください。僕も自分のことにもっと集中します。お互い楽しい人生にしましょう。」

ノブレスオブリージュ

寝具以外は必要になってから買えば十分、あと、良いものを買うより新しいものを買い替え続けた方が得な場合も多いと、一人暮らしして初めて気付いた。

安くても家具・家電セットは買わない方が得、理由は、使わないものが案外多くてその割に捨てるために金と手間と時間がかかるし場所がもったいない。どうせ消耗品なら中古で良いし。

使わないけど捨てられないものって案外多いです。でも、住空間に使わないものあると心を圧迫するから部屋よりも収納を広くした方が生活の質が上がるのも補足。

モノも人も抱えなくて良いなら手放すor持たないに越したことないですね。手放すor持たないためには対象を諦める必要があるが、諦められるほど折り合いつけるには1度抱えてみるのが手っ取り早いという矛盾。

究極に何も抱えてない状態は「死」です。死んだら意識が途絶えて終わり、ひたすらに何も無いだけ。派生した話、意識が無いときは何も抱えずに済むから生きてるうちは睡眠が何より尊いのです。ゆえに睡眠に全力を捧げるつもり。

死んだら地獄か天国に行くというが、この世が地獄であの世が天国なんです。だからいつか死ねるのが楽しみなんだよな。いつか全て手放せると考えたら今生すら楽しくなった。「この世の全てを諦めることができた」という意味で自殺は寿命より幸せなんですよ。だからご遺族の方は気に病まないで欲しい。かくいう自分は自殺できるほど折り合いがつかずこの生に執着してるけど。