お前が言うなフルコース

書く価値もなければ、書く資格も無いようなことを、自分を棚に上げたり誰でも言えるのにわざわざ書いたりする。

ヒマでありたいが故にヒモでありたい

「時間の無駄遣い」以上の贅沢は無いし、「時間が勿体ない」と思うことが何より勿体ないと断言する。
我が人生、「どうせ暇なら有効に使おう、何かを成し遂げよう」という思いで半端に取り掛かって投げ出したことの多さよ。
今にして思えば、「暇なら暇に越したことはないんだよ、生きているうちに行う大概のことは、暇を得るために取り組むんだから。」という話である。
何者かになりたい人間にとっては、シラフでいたら暇を持て余すことに耐えられなくてせかせか働いてしまうわけですが、私は何者になれなくても良いから「暇」を謳歌したい。だからヒモとして養ってください、隅で良いから置かせてください、「暇」以上の贅沢は要らないから。
その点、囚人やら無職やらって凄いよな、いつだって「暇」たっぷりだもん、ちょっと憧れすら覚える。
話は少し飛ぶが、我々は、大なり小なり、常に何かの枠に囚われており、社会からの刺激と快楽に振り回され続ける。
ときには常識に囚われない発想という常識的な発想、型にハマりたくない人間が陥る型、普通でいたくないと言う普通の感情などを抱える。その外部からのノイズの渦中においても、できるだけ外側に意識を奪われないように、程よく遮断しつつ、自分の内側のその更に内側に眠る欲望を越えた渇望に耳を研ぎ澄ませる。
そういった自分との対話を無意識下で最大限楽しめるのも「暇」の旨味だし、それはそれで「正解」の掴み方の1つだと思います。
足掻く藻掻くとにかく動くだけがじゃない、立ち止まって一旦投げ出したり戦略を立て直したりして、気が向いたら試せば良い。どう転んだって最悪死ぬだけ、大抵のことに意味は無い。
という暇人の言い訳でした。