お前が言うなフルコース

書く価値もなければ、書く資格も無いようなことを、自分を棚に上げたり誰でも言えるのにわざわざ書いたりする。

「指導者」アレルギー

自分の正義を貫くことは他人の正義をねじ曲げること、だから、正義を貫くためには金をばら撒き権力を振りかざす必要がある。しかし、それはエゴであり正義と言えない。正義は貫き通せた時点で正義じゃなくなるという話。

「正義」は個体ごとに存在する、「正義」は個体の外側に貫けない、この2つは相反しているようだが両立しうる。

言い方を変えると、率先して何かを正そうとしたり、取り仕切ろうとしたりする人間には、そうしようとするに至るだけの理由がある。

①誰かに頼まれているか、見返りがある。
②正義を貫く=エゴであることに無自覚なほど未熟である。
③シラフじゃない=シラフで生きていけないほどストレスを抱えている。
のどれか。

だって、自分の正義を貫けるにしても、リターンに見合わないと思うんですよ、率先して先導したり、取り仕切ったりする労力って。それにある程度自分の人生ちゃんと生きてたら目の前のことを捌いたり自分の居場所を守ったりで手一杯になるから、体制や環境、社会課題を何とかしようとしてる場合じゃないはずなんですよね。

僕が『対学生か否かを問わず、「教育」に自ら関わろうとする層』に薄気味悪さ・胡散臭さを感じるのは上記①〜③を認めないことなんだよな。これが指導者アレルギーです。

学校の先生を筆頭に、学習塾・予備校講師・何たらセミナー講師・少年野球の指導者などなど。

同時に、多くの人が親になろうとする理由も上記①〜③だと思っている。もっとも学生以降の人生について明確にイメージできていないと、何も抱えずに生きていくには物足りなすぎるという面もあるだろうけど。
ゆえに、親にも先生にも「感謝」を押し付けられる筋合いなんてないわけです。
「感謝」なんてしたいときにするし、押し付けられると感謝したいもんもしたくなくなるってなもんです。